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2006年04月06日(木)更新

高遠の桜 開花情報

天正10年武田、織田との最後の戦いは武田勝頼の弟、仁科盛信と織田信長の長男、織田信忠との凄惨な戦いで城は血の海になったそうです、その為高遠城跡の桜の花の色が他所の桜と違い色が濃いと言われています。

高遠の桜開花情報

高遠城は重要な軍事拠点として、織田氏からの甲斐進攻の最終防衛基地の役割を担い、天正9年(1581年)には勝頼の実弟の仁科盛信が高遠城主となった。翌天正10年(1582年)2月、織田信長は本格的な甲斐進攻を企て、長男の織田信忠に6万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる城兵の数は3千。織田信忠の降伏勧告を退けて、仁科盛信を先頭に奮戦するもむなしく、凄惨な戦いの末、最後には全員が玉砕して落城した。
ウィキペディアより
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